第23回日本高齢者大会in別府に参加して

 大阪から254人が参加

全国で4、123人が第23回の日本高齢者大会in別府(9月14~15日)に行かせてもらいました。

 報告では大阪の参加者は254人、目標達成だそうです。総数4,123人。二日目の全体集会でのカンパ額が714,529円と聞けば「意気高い集会だった」とわかるでしょう。赤いはんてん30人による歓迎の「日向ひょっとこおどり」。楽しくてそれだけでも私には満足の気分でした。大阪にもそんな面白い芸の一つはあるかなー。

 学んだことは後期高齢者医療制度廃止のこと。政権も新しくなったし・・・と気楽に思っていたけれど、民主党のいう「保険制度の一本化」は国民にとってどうなのかなど、新政府が廃止の後どうしようとしているのか、様々な問題があることをしりました。

(大阪市 速水 敏子)

高齢者パワーが別府の街にあふれる

 速水敏子さんとの弥次喜多道中で別府の高齢者集会に参加しました。元大分県職の婦人部副部長をしていた森アツコさん宅に二泊させてもらって、ゆったりと集会に参加することができました。湯の町別府は以前ほどの活気はありませんが、高齢者集会の二日間は高齢者パワーが街に溢れていました。全体会での記念講演での諸悪の根源「介護保険制度」の廃止をとの話に「福井宥」さんの姿が「ダブリ」ました。      (内山)

日出生台演習場をみて日米軍事同盟の理不尽さが・・・ 

第二十三回日本高齢者大会には、移動分科会の「日出生台(ひじゅうだい)演習場と湯布院散策」に参加しました。日出生台と湯布院にはバスで移動、バスには定員一杯の参加者でした。日出生台演習場では、大分県原水協事務局長の遠入 健夫氏から説明を受けました。
 日出生台演習所は大分県の中央部に位置しており、なだらかな起伏に富んだ広大な草原、そこが西日本最大の自衛隊・米軍共用の実弾射撃場です。面積は約五千ha(五十平方キロメートルで、大阪府岬町の面積四十九・〇三平方キロメートル以上あります)
 日出生台演習場は日清戦争後、明治政府の富国強兵政策の下、一九八九年に軍部が実弾射撃演習場として足を踏み入れてきたことから始まります。戦後一九四六年には米軍に占領・接収され、農家の水田等は演習場外に強制撤去させられます。
 一九九四年には沖縄の少女暴行事件を契機に、沖縄の痛みを全国で分かち合おうと、沖縄県道越え実弾射撃訓練を本土に移転し、一五〇㍉榴弾砲の射撃訓練所に選ばれ、住民は実弾射撃訓練の被害におびえています。訓練のない日に訪れましたが、のどかでなだらかな広々として見渡す限りの草原でした。こんな素晴らしい草原が米軍のために提供され、住民が追い払われていることに、改めて日米軍事同盟の理不尽さを考えさせられました。      (左海)

国東半島の石仏文化めぐりに参加

 大会初日の移動分科会に参加してきた。今回参加の分科会は、「神仏習合の国東半島を訪ねる」がテーマ。
 バス中の説明では、テーマの地、国東半島には、六郷(安岐・武蔵・国東・伊美・来縄・田染)があり、同半島には六十五ヶ寺が存する。しかし、今では、廃寺や無住職の寺院が数多くあるらしいとのこと。この地でも、僧侶不足を来たしているのか、或いは過疎化なのか云々、などと思いつつ、最初の目的地である「真木の大堂」へ向かう。
 「真木の大堂」は、本山本寺として三十六坊の霊場を有した最大の寺院であった「馬城山伝乗寺」のことだそうだ。堂内には、九体の仏像(重文)が安置され、中でも大威徳明王像は、同明王像では日本一だそうだ。また、隣接する古代公園には、半島全域の寺院や山岳地に散在していた宝塔や石仏などの石造文化財を遷仏してあり、手軽に鑑賞することが出来るようになっていた。中でも「国東塔」と呼ばれる宝塔は、国東半島だけのものだそうだ。
続いて訪れた「蓮華山富貴寺」(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西比叡山高山寺の末寺の一つ。大堂は、国宝であり、西国唯一の榧造りの阿弥陀堂で九州最古の和様建築物と言われている。堂内陣の中央に本尊阿弥陀如来像(重文)が安置され、堂内壁画(重文)は、平安三壁画一つに数えられるという。
 今回、約三時間という時間の制限がある中での分科会は、特に人気のある分科会らしく、当日の参加申し込みもあり、おかげでバスは、補助席も使用する満員の状態だった。高齢者には辛いなと思っていたら、出発直前に体調をくずして下車する人がでるなど、少々のハプニングもあった。半島内陸部の二ヶ寺を訪れるというものだった。
六十五寺全部を踏破しようとすれば、十日間位は有に要するだろう。        (S)

いづれゆっくりめぐってみたい国東半島 

 八月三十日の衆議院総選挙で、政治の流れが大きく変わった。その直後の九月十四日から十五日に大分県別府市で開催された「第二十三回日本高齢者大会」に参加。「後期高齢者医療制度」廃止の、運動を大きく展開しなければならない時期での大会であった。
 十四日大分港に前日夜乗ったサンフラワー号が接岸。上陸。即JRに乗り換え、大会会場の別府ビーコンプラザに直行。受付後即、移動分科会「神仏習合の国東半島めぐり」に参加。当日に参加希望が多数出るほどの盛況で、現地担当者が断るのに苦労をしていたのが印象的であった。事前予約者のみで出発。
 講師から次のような説明をうけた。国東半島は、現在は休火山だが、日本有数の火山半島である。半島全域に奈良時代から平安時代にかけて、宇佐八幡宮による神と仏は同じものだという神仏習合文化が成立した。半島は、かつて六つの郷(安岐、武蔵、国東、伊美、来縄、田染)に分けられ、神社は、六郷ごとに八幡宮が海岸部に置かれ、寺院は、山間部に本山・中山・末山の三山(六十五寺)の本寺、末寺が組織され、この文化圏は「六郷満山」と呼ばれた。その六郷満山文化の遺産として寺社とともに各地に磨崖仏・野仏・石塔などの石造文化財が数多く散在する。との説明を受けた。
今回は、そのうち真木大堂と富貴寺を訪れた。
真木大堂では、日本一大きな大威徳明王像・大火炎を背負った不動明王・四天王を従えた阿弥陀如来像九つの国重文木彫仏を拝観し、境内には、宝塔・法篋印塔・五輪塔など石造文化財が周辺から集められていた。
 また、富貴寺の大堂は、国宝で九州最古の和様建築であり、一本の大榧から作った珍しい総榧造りだそうだ。その余材で牛を刻みそれでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなった。その地に建てたお堂が真木大堂だと言い伝えているとのこと。内陣中央には阿弥陀如来座像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は平安期とのこと。
ここでも境内に国東塔・石殿・板碑・笠塔婆・仁王像・梵字石などがあり石造文化の豊かさに魅了された。
 今回楽しみにしていた石造文化をめぐりであったが、午後のみという時間制限の中であまりに時間が足りなかった。いずれまたゆっくり訪れたいと思った。
          (神田 正徳)