歩こう会 堺史跡めぐりに参加しました

 12月4日(金)午前10時、南海本線「七道」駅に集合、総勢19名。ガイドは堺ボランティア協会の瀬島さん。先ず駅前の河口慧海像の説明を受ける。慧海は1866年、現在の堺区北旅籠町西に生まれ、チベット語訳の仏教原典を求めて明治30年、37年の2回にわたりチベットに入国した仏教学者で駅前の像はヒマラヤの岩場を越えてゆく慧海の姿で彫刻家・田村勤氏によって制作されたとか。

 

ここを出発して慧海の生家跡まで歴史的な建築物の残る町並みを歩き、鉄砲鍛冶屋敷へ。ここは内部非公開ですが、我が国で唯一の現存する鉄砲鍛冶工場で堺市の指定有形文化財とか。ここを過ぎて山内家住宅跡を見学。江戸時代前期の町家で昭和41年国の重要文化財に指定されていますが、驚いたのは最近まで人が住んでいたこと。200年も経つハゼの木の紅葉が少し疲れた気分を和ませてくれました。

次に堺区九間町東の覚応寺へ。当寺の住職河野鉄南は文学仲間の与謝野晶子と鉄幹を引き合わせた人で境内には晶子の歌碑があります。その後は本願寺堺別院、堺最大の木造建築物で明治時代には堺県庁として使用されていたと記されています。本堂前には親鸞上人と蓮如上人の像が対面で立っています。

お昼頃若干の曇り空、ザビエル公園にててんでに昼食タイム。

午後1時から活動開始。先ず堺刃物伝統産業会館へ。ここでは進取の精神が育んだ、世界に誇るクラフト文化、堺刃物の歴史と自治都市堺と信長等権力者との関係を学びましたが、なんと言っても実物の堺刃物に圧倒されました。「黄金の日々」にも出ていましたが、ポルトガルとの交易で鉄砲と同時期に煙草も入ってきたそうです。

その後、妙国寺を訪ねました。境内の大蘇鉄は国の天然記念物に指定されていますが、それよりも慶応4年(1868)、堺事件での土佐十一烈士切腹の地であり、ボランティアの広瀬さんの説明で明治維新初頭に生きた尊王の武士達が、忠義を尽くした故に、揺れ動く政策に翻弄され、この寺で悲壮な最期を遂げたことが印象的でした。この寺の向かい幼稚園の片隅に切腹した武士達の墓がありました。

気がついてみると曇り空もすっかり晴れ、最後の目的地、堺市役所の21階、展望台へと向かっていました。堺ではつい最近市長選挙があり、元、前大阪府の部長が猛烈選挙を繰り広げたところ。そんなことにはお構いなしに、なんと素晴らしい眺望。堺市内が一望できます。喫茶店もあり、市民の憩いの場としても、若者のデートスポットとしても利用されているらしい。午後3時、無事予定のコースを全員が完歩。ここで解散。

おおざっぱな記述で申し訳ありませんが、これ程の歴史、文化が今も現存・継承されていることに驚いた、楽しい「堺史跡めぐり」でした。

                       長峰 孝三