My Story ~私と労働組合④~ 労働組合があるからこそ人を励ますことができる

労働組合は府民サービスを守るための運動の基盤

私の最初の職場は、百舌鳥(もず)学園という知的障がい児の通園施設でした。全員が府職労に入っていたということは後から知りましたが、誘われてすぐ労働組合に入りました。就職したら先輩の言うことを聞くのは当たり前と思っていましたので、労働組合のある職場でよかったと思っています。この頃、職場では、労働組合として他の通園施設の労働組合と一緒に、子どもの発達や発達保障についての勉強会などを行っていました。保護者向けの集いも開催し、最初の職場で発達保障を学べたことがとてもよかったです。

百舌鳥学園の堺市移管反対運動のときは「すべての子どもに豊かな発達と充実した療育を」というスローガンを掲げて、保護者会のみなさんにも呼びかけて、「府立百舌鳥学園の存続と発展をめざす会」を立ち上げました。シンポジウムを行ったり、大阪府との交渉に参加したり、私にとって労働組合は、まさに府民サービスを守るための運動の基盤でした。若いうちは時間もあったので、「手伝えることはしなくては」という思いがあり、運動に参加するようになりました。

青年部の活動にも参加する中で、労働学校にも通い、そこで、社会の発展について学びました。「歴史をつくるのは私たち、そして、社会の発展は、直線で進むのではなく螺旋を描くように、元の位置に逆戻りしたように見えても、螺旋階段の上の位置にきている」この話を聞いたとき、子どもの発達を考えるときにも階段を登るようにと学んだことと重なり合って、人間の発達も社会の発達も、同じように段階を踏んでいくんだと、とても感動したことを覚えています。

助け合えるのが労働組合のいいところ

性格的には組合役員には向いていないとずっと思っていましたし、労働組合の基本は労働条件の向上と言われると、自分自身はそこまで困っているわけではないし、お世話好きでもないし、人前で話するのも苦手だし…と、いろいろ迷いながらやってきました。副支部長になったとき「私はここまでですよ」と当時の支部長に言いました。子どもを育てることが夢でしたから、そうなって「時間がないからそんなに活動できないわ」と言えるようになりたいなぁなんて思っていました。結果として、その夢はかなわなかったので、断る理由がなくなり支部長をすることになってしまいました(笑)。

「頼りないほうがみんな助けてくれる」「助け合いのための労働組合なんだもの」と思って活動しています。実際に、みなさん忙しい中でも協力してくれて、ありがたいなぁと思っています。

頼まれるとなかなか断れなかったおかげで、苦手なこともチャレンジしたり、人と話をする機会が増えたり、経験が増えたことは、自分の中で力になっているのかなと思います(単に歳とって図太くなっただけかも)。これも、労働組合がなければ学ぶ機会がなかったかもしれませんが、人間は一生発達するという発達保障の考え方を学んだからこそ、そう思えるのだと最近気づきました。

「発達の原動力は○○ちゃんみたいになりたいという憧れの気持ち」(白石正久氏)という言葉も思い出しました。憧れと意識したわけではないけど、仕事に一生懸命に取り組んでいる組合役員の先輩の姿を見ていたから、私も仕事が一番、だからこそ労働組合も大事と思うようになっていったと思います。

なかなか簡単に要求は実現しないけれど、確実に前進していること、今できることは少なくなっているけれど、府職労があるということが、府職員だけではなく、まわりの人たちを励ましているということ、そして、私たちも励まされていること、いろんなことがつながっていると思います。そんなことを、ぜひ若いみなさんにも感じていただけたらと思っています。

 

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